不快音か福音か? Offensive News or Good News?

(English follows Japanese) 兄弟たち、もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう? それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。(ガラテヤ5章11節) 今週の日曜日は、受け入れられていない人を受け入れる、というイエスの教えについてお話ししました。イエスは貧しい人、虐げられている人のところに来られました。彼はいつも悪い知らせを聞いている人たちに良い知らせを告げようとされたのです。その良い知らせとは、神様が彼らの罪を赦して救いの中に招いて下さる、というものです。 イエスが異邦人を含めたすべての人に届く神の御心について話そうとすると、イエスの故郷の人々は怒りを感じました。彼らは怒りのあまり、礼拝の最中にイエスを崖から投げ落とそうとまでしたのです。   あと2週間ほどで、私たちはイエスの死と復活をお祝いする日を迎えます。私たちはイエスの十字架上の死に、尊い愛の行為を見ます。イエスは私たちの罪を赦すために、私たちの代わりに死なれたのです。 しかしこの十字架を不快に思う人もいます。冒頭のガラテヤ人への手紙の中でパウロは、異邦人はユダヤ人の法には従わなくてよい、と言っています。彼らは十字架を信じるだけで救われるからです。このことを不快に思うユダヤ人もいました。同様に現代でも十字架について不快に思う人がおられるでしょう。いくつか例を挙げてみます。   1)すべての人が十字架によって赦されるということ。 殺人者や凶悪な犯罪者も救いに与ることができるのです。多くの人にとって、これは公正なこととは思えないでしょう。だからイエスが全人類を受け入れたというのは、私たちの気持ちを不快にするのです!   2)十字架だけが救いに至る唯一の道であるということ。 人々は唯一の絶対的な真理という考えを好みません。どんな信仰でも、どんな宗教でも、みんな天国に行けると信じたいからです。あなたはあなたの神を選んだらいいし、私は私の神を選びます。そんなふうに思いがちです。   3)私は罪人であり、イエスは私のために死ぬ必要があったということ。 自分が罪人であるという考えは人を不快にします。誰でも、私はまあまあ良い人間だと思っているからです。私は法律に触れるようなことをしていない。どうして私が罪人であると認めなければいけないの?どうして神様はそんな厳しい基準を押し付けるの?神様は良い方なのだから私を赦して下さるはずだ。そんなふうに思ってしまいます。   4)救いがあまりにも簡単すぎるということ。 ただイエスを信じるだけで神様との関係を持つことができる、ということに多くの人は驚きます。神様に受け入れてもらうためには規則を守って、神様のために一生懸命働かないとダメでしょう?ほとんどの宗教が厳格な決まりを必要としているのに、どうしてキリスト教にはそれがないの?そんなふうに思ってしまいます。   私たちがするべきことは、イエスがしたように、すべての人を受け入れることです。とりわけ人々に受け入れられていない人を探し出すことが必要です。私たちがするべきことは、十字架が不快なものとならないようにすることではありません。イエスが十字架によって示して下さった愛を他の人たちに示していくことが必要なのです。私は受け入れられています。あなたは受け入れられています。それこそが良い知らせ(福音)なのです!   Brothers […] Read More

楽な人生? The Easy Life?

(English follows Japanese) 去年の夏にアメリカに帰ったとき、まるで競技場のような大きな場所で説教をしている牧師をテレビで見ました。きちんとした身なりの素晴らしい説教者です。 彼は苦しみは短い間だけで、良いことはもうすぐ訪れると話していました。 彼の言う良い時とは新しい仕事、新しい家、仕事での昇進です。 何度か彼をテレビで見たことがありますがいつも同じような内容です。 とても魅力的なメッセージですよね 良いことはもうすぐやってくるよ あなたは裕福になるよ あなたは今よりももう少し居心地が良くなるよ 神様は私たちのこの人生に良いものを与えてくださいますか? もちろんです。 私たちの多くが神様からの必要以上の素晴らしい贈り物を経験しています。 でも私たちは祝福や楽な人生をいつも神様に期待すべきでしょうか?   2週間前にマーク先生が人生の試練について話しました。 シャデラク、メシャク、アベデネゴが火の燃える炉の中に投げ込まれました。 そして、この日曜日に私は“欠けていること”について話しました。 金持ちの男の話に出てくる男性は神様が欠けていて、その結果、自分の持ち物を手放してイエス様についていくことができませんでした。マーク先生と事前に打ち合わせをしたわけではありませんが、この2つのメッセージにはつながりがありました。福音の中心は、楽で問題のない人生が約束されていることではありません。福音とは、イエス様が私たちを苦しみから救い出してくれるのではなく、苦しみの中に私たちと一緒にいてくださるということです。イエス様は燃える炉の中の4人目の者でした。福音の中心はイエス様が神様を信じきって全てを手放し、私たちのために十字架の上で自らを捧げてくださったことです。確かに、私たちは神様に自分を苦しみから救い出し、欠けているものを満たしてほしいと期待します。それは悪いことではありません。しかしイエス様の内に成熟するためにも、私たちの試練の中にイエスさまに入っていただきましょう。私たちが欠けているものとの闘いをイエス様との旅としましょう。イエス様は私たちの不完全な生活で共にいてくださる神様なのです。彼は私たちの痛みを同じように感じてくださる神様なのです。この神様こそが私が永遠に一緒にいたい神様なのです!   When I visited America last […] Read More

アウトサイダーの中のアウトサイダー An Outsider of Outsiders

(English follows Japanese) 私は「外人」です。この「外人」というのは「外国人」を指すときのちょっとくだけた表現として私も使っていますが、よく見ると「外人」というのは、文字通りには「外部の人=アウトサイダー」という意味です。だから、「外人」という呼び方に違和感があるのも何となく分かります。残念ながら、自分が外部に取り残されていると感じるのは、外国人だけが経験することではありません。誰でも自分があるグループから外れていると感じたことはあると思います。たとえば、友人関係ができあがっているところに後から加わったとき、自分だけが他の人とまったく違うタイプの人間だったとき、あるいは誰かに誤解されてしまったとき、おそらく私たちは疎外感を覚えると思います。私たちの文化では「内部」の関係というのがとても少ないので、人間関係の外部、安心できる場所の外部、自分が所属しているグループの外部にいるという経験はよくあることだと思います。   日曜日の礼拝メッセージで、マーク先生はイエスが悪霊に取り憑かれた男に会ったときの話をしました(ルカ8章26−39節)。この男は異邦人でした。つまりユダヤ人たちから、神様の特別なご計画の外部にいると思われていた人です。彼は裸で野宿しており、墓場で生活していました。町の近くには彼の住める場所はありませんでした。まさにアウトサイダーの中のアウトサイダーと言ってよいでしょう。彼はイエスに出会うまで、すべての人から拒絶されていました。しかしイエスは、そんな彼を愛し、受け入れ、許したのです。そうすることでイエスは彼に人間としての尊厳と正気を回復させたのです。   イエスはこの男に会うために、町の外の遠いところまで旅をしてきました。これは、愛なる神がどのようなお方であるかを示しています。イエスは物理的(湖)、文化的(ユダヤ人対異邦人)、霊的(悪霊を追い出す)な障壁を乗り越えて、この男を解放したのです。そこは決して快適な場所ではありませんでした。私たちがキリストに従うなら、そこには二つの選択肢があります。1)快適な場所に留まり、自分と同じような人たちと集まって「内部」のグループを作っていこうとすることができます。しかしそうすることで、私たちのグループの外部にいると感じる人が出てくるかもしれません。逆に、2)アウトサイダーの中のアウトサイダーに出会うために、イエスとともに快適でない場所に行くこともできます。イエスは自ら進んでアウトサイダーになりました。イエスは私たちとともにおられるために、天国という快適な場所を去って来られたのです。そしてイエスはご自身の民から拒絶されました。孤独な死を遂げられました。イエスは同じアウトサイダーの仲間として私たちを受け入れて下さいます。私たちが孤独になっているときに私たちに出会って下さいます。それによって私たちは神が受け入れて下さることを教えられます。イエスは私たちもまた他の人に同じようにすることを求めています。あなたの周りにも、神の愛を必要とし、神に受け入れられることを求めている「アウトサイダー」はいませんか? I’m a gaijin. I’ve come to see that as a playful name for foreigner but if you […] Read More

毎週のショッピングリスト Weekly Shopping List

(English follows Japanese) 第二ペテロ1:5-7 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。 日曜日、私達はこのリストを見て、今年私たちの中にもっと持ち合わせたい品性を一つ選び、それについて考えてみてください と問いかけました。一つのことに集中したり覚えておくのは簡単なことです。私たちは一日を通してそのことを覚えておけるよう神様に祈ることができます。友人やバイブルスタディのメンバーに思い出させてくれるよう頼むこともできるでしょう。それも素晴らしいアイデアですが 。。。今週だけでもこのリストの中に書かれている品性が、ひとつではなく、いくつも必要なのです! 長期的な課題に対しては忍耐がいります。これはすぐには解決されない問題です。課題やチャレンジに対する自分の反応にも自制心が必要とされます。日常生活において、自分の感情や心を何よりも神様に優先させるための敬虔も必要です。神様について新しい知識を得て、心をリフレッシュするために聖書の中で彼について何か新たな発見もしなければなりません。自分より他人のことを考えられるよう愛も忘れてはいけません! ペテロはこれらの品性を持ち備え、豊かにさせていくことが、実りある人生を送るための鍵だと言っています。私は今日、これから食糧を買いに出かけます。私たちが毎週どれくらいの食糧を必要とするかは驚くほどです。そしていつも基本的に同じような食糧を買い続けています!私たちはもしかしたら、今週過ごすための霊的な食糧や必需品が不足しているかもしれません。イエスさまに彼の品性を求め、私たちの霊的な買物袋とカートを満たし続けましょう。神様はその御力で私たちの必要とする全てを与えてくださっているのです! 2 Peter 1:5-7 For this very reason, make every effort to add to your faith goodness; […] Read More